草ポケモンとクリスマス
「クリスマスの時期になると町の外れに住んでいるおじいさんがどこからかユキノオーを連れてきて、お腹や背中に赤や金の飾りをつけ、街を散歩させていたものです。故郷を離れて十数年が経ちますが、その光景が今でも目に焼き付いているのです」
そう話してくれたのは海沿いにある教会の神父さんだった。クリスマスの礼拝も終わった25日の夜、縁あってディナーを御馳走になったのである。彼はシンオウの出身であり、近くの山にはユキカブリやユキノオーが生息していたらしい。
ところで、近ごろSNSでは似たような流行があるようだ。それは草ポケモンにクリスマスの飾りをつけ、写真をアップするというというもので、まさに例のクリスマスおじさんがたくさん現れてオンライン上に可視化された状態とも言えよう。
私が確認した限りでは、ナゾノクサ、ドダイトス、ナッシー、バオップ、モジャンボ等である。
ナゾノクサは葉っぱの生え際にワンポイントの飾りをつけてかわいいものだったが、ドダイトスは本格的な飾りと電飾をつけられてちょっと迷惑そうだったし、ナッシーはあきらかに季節感を損なっていた。そしてバオップはリーゼントが重そうだった。
一番かわいそうなのはモジャンボで電飾が幾重にも体中にまきつき、逆からみつく状態である上、電飾の光り方が主張が強すぎの感が否めなかった。
話に聞くには美しいが、やはりやりすぎはいただけないものである。
近年は近所の家のイルミネーションが眩しすぎて、家の人が気合いを入れすぎて、という話もしばしば聞くところであるが、草ポケモンに装飾にしてもポケモンが嫌がらない範囲で、わきまえて行いたいものであるし、承認欲求を満たしてもらった奉仕分のプレゼントはポケモンに対してもしっかりとしたいところである。
ドーブルと浮世絵師の話
江戸の絵師の仕事には、鼠避けの猫(コラッタを追い払うペルシアン)の絵や、疱瘡除けの赤い獣(ガーディやブーバーなど)を描くというものがあり、筆犬(ドーブル)が手伝った絵には命が宿り、より効き目があるとしてありがたがられた。
が、ドーブルに仕上げをさせた結果、本当に命を得て、描いた絵の馬(ギャロップ)が走り去ったとか、農作物を荒らしたとか、寺の天井画の龍(ギャラドス)が毎夜抜け出して周辺住民がビビるなどがあり、安易にドーブルに頼るのも考えものであるとして戒められてもきた。百鬼夜行なんぞ描かせた日には大惨事である。
そんな訳で江戸の浮世絵師の間ではドーブルに画業を手伝わせてもいいが、最後の目の瞳の描き入れだけは必ず人間の絵師がやれという教えがあったという。
ポケモンを描いた傑作にはかつて絵が抜け出して遊んでいたという逸話が付属する例が多い。
秀でた浮世絵師はドーブルが手違いで人に生まれたなどと言われたもので、葛飾北斎などはその筆頭であった。
また、ドーブルに関してはこんなエピソードもある。
浮世絵の一ジャンルとして有名な、いわゆる春画は風紀を乱すものとして幕府の取り締まりの対象であった。故に浮世絵師も別の画号を名乗って描いていたくらいだ。葛飾北斎は鉄棒ぬらぬらというペンネームで春画を描いていた、というのは有名エピソードなのでご存知の方も多いだろう。
そうしてもう一つの逃げ口が「これは筆犬が勝手に描いたのだ」というものであった。
ある時、春画を描いたとして浮世絵師が捕まったことがあったが、大岡何某という奉行所のお偉いさんが、「あれを描いたのは筆犬だからしょうがないよネ」という沙汰を出してすぐに家に帰した事があって以来、そのように言うようになったという。
神社で祈願
わが国でトレーナー制度が確立して以降、神社における祈願において、バトルの勝利祈願は大変にメジャーなものとなった。それは自身の勝利祈願であることもあれば、身内や友達の為の祈願である事もある。もはや神社が本来のご利益に加えて、勝利成就を掲げるのは当たり前である。
そして、比例するように増えたものがある。それは「誰かが負けるように」という呪いである。
私が見知っている方法には、神社の絵馬を買い、描かれたポケモンを黒く塗って、呪いのターゲットが負けるように願って奉納するというものだ。そうすると絵馬から抜け出した黒いポケモンがターゲットのところに行って、災いを齎すというのだ。
呪いの絵馬に関しては見つけ次第燃やすと宣言している神社も多いが、一定周期で呪いブームが起こり、神社側も苦慮しているという。
むしろそういった神社側の対策から生き残った絵馬こそ呪いの力が強いと考えられているフシがあって、呪い絵馬の奉納は後を絶たない。
甚だ荒唐無稽な話ではあるが、神社の境内や鎮守の森で黒いポケモンをみかけた、黒いポケモンに襲われた、という報告はSNSなどで後を絶たず、そういった書き込みがさらなる呪いを喚起しているという様相だ。
オカルト好きなトレーナーの間ではゴーストポケモンの一部はこういった行為から生まれているのではないか、などともっぱらの噂である。
このような現象からめざとく商機を感じ取った一部神社はウインディを刺繍したお守りを売り出すなどを始めたようだ。さすが祭神がニャースの神社、商売には敏感である。ガーディやウインディの御朱印も大人気だという。
御朱印といえば、ポケモントレーナーの修行の旅がてら御朱印を集めているトレーナーは多い。
御朱印帳がいっぱいになる度に実家に送っている、と語ったのは昨日話をした女性のトレーナーだった。そろそろ八冊目が埋まるのだと言っていた。バッジは集まらないのに御朱印帳は溜まっていくと実家の親からは嫌味を言われるという。
神社の授与品である焼物や張子のポケモンもかわいいものが多いので、実家を授与品だらけにしてしまうトレーナーもいるようだ。しばらく愛でた後に実家に送るのである。さる家に泊めてもらった時に
「これが手紙の代わりね。どこに行ったかという意味ではわかりやすいわね」
と、家の奥さんが出窓に飾った授与品を指して話してくれたことを思い出す。
もちろん旅に出た子どもの安全、といったものも神社ではよく見られる祈願である。時々、旅はほどほどにして早く帰ってきてくれますように! なんて祈願してしまう親もいるそうだが。
帰ってきて、といえば、年末年始になると帰省するトレーナーは多い。親子で連れ立って初詣に行く、というのは子を待つ親の楽しみの一つであるようだ。
化石の秘密
最近それなりに長いトンネルを通った事があったのだが、そこで工事をしていた作業員さんがアーケンを繰り出してきた。鳥ポケモンの祖先と噂されるさいこどりポケモンだ。おそらくはトンネルの掘ってて見つけた化石を復活させたんだろうと思う。
なんだかいいなぁと思ったので今回は化石の話でもしようと思う。
調べてみたところによると、化石と最初のポケモンが結びついている町はいくつかあるようだ。化石が多く産出されるさる地方の町では、子ども達は九歳になると博士と化石を堀に行くという。十歳になったらそれを復活させて旅のパートナーとする為だ。子供たちは化石を傍らに置いて、パートナーとの出会いを楽しみに九歳を過ごすという。
化石は町おこしのにも活用されており、化石が出る町には化石グッズがたくさん並ぶ。例えばオムナイトの化石は半分に切った時の小部屋(気室)の美しい螺旋構造から、小さめのものをアクセサリー、工芸品にする等も盛んに行われている。化石が有名な町の長も「オムナイトの気室には古代ロマンが詰まっている」とアピールしている。
一方で近年、ポケモンの化石を利用した製品は残酷だなどの声も聞かれるようだ。皮肉な事にそういう声をあげるのは化石の復活経験を持つ地元の人間だったりもするので、町も一枚岩、というわけではないようである。
ところでふと思ったのだが、「化石の復元」が可能なら、かわいがっていたポケモンが死んだ時、そのポケモンの骨から同じ個体を復活させようという発想する人がいそうではある。別個体にはなるだろうが、同じ遺伝子を持たせる事くらいはできそうだ。ただ、法的、倫理的な論争は避けられそうにない。実際にやっていたとして非合法、表に出てくる事はなさそうにも思われる。
そんな事を考える人は当然ほかにもいるらしく、創作分野ではメジャーなテーマらしい。以下は年少トレーナー向けの雑誌に掲載された漫画の一部で、ポケモンセンターの待合室にも置かれているような雑誌に掲載されていたものである。
あるイーブイは幸せに暮らしていたが、ある時彼の前に一匹のゴーストが現れる。
「お前は私だ。私は生前イーブイだったのだ」
イーブイは聞かされる。自分は化石の復元技術を応用して、主人が前に飼っていたイーブイをもとに作られた存在だったと。
イーブイが死ぬたびに主人は復活を繰り返す…家には行き場のない魂が増えていく……。
また、ホラー作品や都市伝説の類として、次のような話もある。
化石が産出する地域では「悪い子は魂を抜かれてしまう」というものだ。
というのも単純に化石を復活させてもそれは肉体の復活に過ぎず、意思を持ち自律的に動くようにするためには人の魂が必要なのだ、という理屈である。
旅立つトレーナーの分のポケモンを確保するため、博士は化石に入れていい魂を日々探している、それは地元の悪い子だったり、騙して招き入れた旅のトレーナーだったりする。研究所の地下室には悪い子やトレーナーが捕えられていて、化石復活のたびに捕えた人間の魂を抜き、復活させた肉体に注入してるのだ……という筋書きだ。
化石に注入された魂ははじめの頃こそ反抗するが、そのうちに肉体の方に引きずられて、人間としての自我は消えていき、ポケモンとしてふるまうようになる。トレーナーは懐いたと無邪気に喜ぶ、というなんともホラーな内容である。
おそらく最初は夜遅くまで起きているとヨマワルが迎えに来るぞ、といった類の話の変形だったのだろうが、厄介な噂を流される町の博士は大変だなぁと同情するばかりである。
海首の話
今でこそかわいいポケモンとして広く認知されている種族であっても、生物学などの学問が体系化されていない、生態などが研究されていなかった時期においては不気味な存在として扱われていた時があった。そんなポケモンの一種がホウエン地方の一部などに生息する「タマザラシ」である。
玉のような丸い身体に顔がついている生物的にはアンバランスなその姿は、見ようによっては生首であるとか髑髏を連想させたらしい。
事実、昔の文献などにはタマザラシを海首などと記載しているものがあり、海の生物というよりは妖怪的な扱いであった。タマザラシを鼻の上でくるくると回すトドグラーの姿は現代人から見ればほほえましいが、鼻の上で回るそれが髑髏であるとか生首であるという風に考えると途端に不気味な光景になってくる。
古くから海には魔物が住むなどというが、タマザラシが生首扱いされたのにはホウエンの歴史的事件も背景にあったようだ。
ニューキンセツの南、シマバラ・アマクサと呼ばれた地域ではその昔、領主からの重い年貢や過酷なに絶えかねて百姓達が反乱を起こした事があった。彼らの多くは現在のカロス地方などを擁する西欧の宗教の信徒であったという。
島々の中にあった城の一つにたてこもった人々は一万にもなると云われ数ヶ月に渡り戦い続けたが、幕府軍の十万を越える軍勢を前にしてついに全滅する。乱を主導したとみなされた者達の多くは首を斬られて晒された後にシマバラ・アマクサの海に投げ捨てられたという。
このような背景があった為に、海に投げ捨てられた首が海首として戻ってきたのがタマザラシではないか、という風に人々は考えたわけである。彼らはタマザラシの毛皮の下には人の首が入っていると考えた。
そして、その進化系であるトドグラーやトドゼルガの皮の中には人一人が丸々入っていると考えた。乱の鎮圧の際に身体を失った首が海で育ち、失った身体を取り戻したのだと。
殊にトドゼルガなどはなかなか凶暴そうな面構えをしているから、乱で海にうち捨てられた人の怨念が宿っているなどと考えたかもしれない。タマザラシが海首などと呼ばれたのに対し、トドグラーやトドゼルガは時に鯔人(トドビト)などと呼ばれた。
そうして首の状態から身体を取り戻した彼らには、時間が経つにつれて別の伝説が付随するようになる。潮がもっとも引く日の夜には彼らは鯔の皮を脱ぎ、浜辺に上がると人の姿になって踊る。その舞踊はホウエンのそれではなく、海の向こうから伝わった異教のそれであるという。そうしてまた日が昇る頃には鯔の皮を着て海に戻っていく。
海の幸をたっぷりと身体に蓄えた彼らの容姿は美しく、偶然にその現場に居合わせた男が鯔人の皮を取り上げてしまった為に、海に戻れなくなった鯔人の女が泣く泣く男の妻になった、という話も伝わっている。鯔人の女は男との間に何人かの子を設けるが、ある日、末の子の口ずさむ歌から夫が隠した鯔の皮の行方を知り、皮を被って海に戻っていく。また、鯔人の男が殿様の妻を寝取る、という話もある。
余談だが、海首の伝説のルーツと思われるシマバラ・アマクサの乱の鎮圧後、領民に重い税を課して、乱を発生させる原因を作ったとして領主もまた斬首となっている。もしかしたら領主の首もまた海首となって、ホウエンの海を彷徨ったのかもしれない。となるとその子孫が誰かのポケモンとしてボールの中に収まっている、なんて事もあるのかもしれない……。
ウインディの民俗学
残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の大唐犬(おおからいぬ)が叢の中から躍り出た。大唐犬は、あわやエンサンに躍りかかるかと見えたが、忽たちまち身を飜ひるがえして、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟つぶやくのが聞えた。その声にエンサンは聞き憶おぼえがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟とっさに思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
叢の中からは、暫しばらく返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微かすかな声が時々洩もれるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。
これは最も有名なウインディ小説の一節である。が、子供達は旅立ってしまうので高校で読む人が減っているという。今日はそんなウインディについての民俗を紹介しよう。
物語としてのウインディは前述した山月記のほかには以下が有名である。
そう遠くない昔の事だ。とあるガーディが大学教授に大変可愛がって育てられた。教授が出かける時はガーディは駅まで送ったという。ところが教授が急死、その死を受け入れられないガーディは毎日駅で教授の帰りを待った。
ある時どこかから炎の石を拾ってきたのか、はたまた誰かがやったのかウインディになった。ウインディになっても相変わらず駅に通い続け、新聞記事になって世間を騒がせたりもした。駅通いは彼が死ぬまで続いたという。
現在はそこにウインディの等身大銅像が立ち、待ち合わせスポットになっている。大変大きいのでよく目立つ。
ウインディは後に剥製が作られている。国立タマムシ科学博物館にあるのがそれだ。
ちなみにウインディの名前はハチと言う。「忠犬ハチ公」というタイトルで何度か映画化もされている。
そしてウインディは呪術的側面からも重要な位置を占める。
なにしろ進化前のガーディの雌雄一対の石像は神社の守護社の定番である。
正月などに見られる獅子舞はウインディを模した獅子の頭を先端に布の中に二人が入って舞われるもので、正月などに披露される伝統芸能である。獅子に頭を噛まれると良いことかあるた云われる。噛み付くとは「神憑く」とも読むことができ、一種の神懸かりの儀式てあるとも考えられる。
また一部地域の首領民俗には本物のウインディの骨を使い、我が子の頭を噛ませるという風習が残っている。これもウインディの強さを取り入れる、丈夫に育つなどの意味が込められており、「神憑く」の実践と言えるだろう。ウインディの霊を憑かせ、強い男にしようというわけだ。
中国では魔除けのお札にウインディが描かれているという話はわが国にもよく知られており、時々学校やトレーナー間で流行る質の悪い噂や呪いから身を守るため、神社や雑貨屋でウインディの印刷されたグッズを買い求める若者は多い。最近は通信機器やそのカバーにステッカーを貼るのが流行りだ。
ところで最近チルッターでウインディアイコンのアルファチルッタラーが炎上した案件があった。ウインディアイコンだけに炎上などと揶揄されたものだが、魔除け効果は発動しなかったのか。おそらく人の怒りや悪意やマウンティングしたい気持ちは「魔」なんかよりずっと強いから防げないのであろう。
ゾロアークの民俗学
ゾロアークは歌舞伎に多大な影響を与えたポケモンである。初代團十郎は師匠を失った失意の中、ゾロアークの幻影舞台を見て奮起、その顔の模様を模し、隈取りをした初めての役者だったと云われる。そんなゾロアークは歌舞伎役者の間では神聖視され、悪狐のようだは褒め言葉だった。
男が女を演じる女形はまさにゾロアークと言えるだろう。さる女形の役者は実際の顔を決して見させずに売り出した為、本当のゾロアークなのではないかと噂され、そんな悪狐役者を一目見てやろうと芝居小屋に大勢の人々が詰めかけた。ゾロアーク姿の浮世絵も多数刷られたという。
悪狐の赤い隈取りを歌舞伎役者がメイクに取り入れたという話は有名だ。両者の関わりは深く、様々なエピソードがある。例えば襲名の祝いの品の中に悪狐からの届け物があるとその役者は江戸一番の千両役者になると云われる。悪狐からの贈り物は黒狐(ゾロア)が化けているため、尻尾が生えている、という。
そのため、襲名の祝いの品には皆、黒い尻尾をつけて贈るようになった。襲名披露公演の折には、先っぽに赤い色のついた黒い尻尾を生やした品がいくつも並ぶという。
さて、化けるといえばキュウコンなども得意とされるが、化ける事に関してはゾロアークのほうが格上だと言われている。
それはなぜか? ゾロアークには尻尾がない為だ。
「今まで隠していた実態が現れる」事をよく「尻尾を見せる」と表現するが、決して尻尾を見せないのがゾロアークなのである。
昔、ゾロアークとキュウコンが同じ人間に化けて化け比べを行ったが、互いに酒を飲んだ時に酔ったキュウコンは尻尾を出してしまい、ゾロアークが勝ったと云われている。故にまだ尻尾があるゾロアは半人前だと言えるのだ。