017のネタ帳

ポケモン二次創作ネタとか。

ツヤッツヤのサラッサラになりたい。

アフロヘアーの黒人モデルを起用した「ツヤッツヤのサラッサラになりたい。」がこれはダメだと思う、と炎上しているようだ。

理由としては黒人差別の歴史を顧みていない、という事らしい。
一定の説得力があると思うし、おそらく広告は撤去されるんだろうな、と思う。

でも私、本当にそれでいいのかなぁ…、と思っている。

だって今は2020年なのである。

数年前にアメリカで黒人が大統領になり、リトルマーメイドのアリエルが黒人になる時代だ。ハリーポッターハーマイオニー(劇のほう)が黒人になる時代なのだ。

ちょっと想像してみて欲しい。
2020年において肌の黒い方が
「ツヤッツヤのサラッサラのストレートヘアになりたい」
と、発話した時に、それはどんな動機からだろう? と。

白人のようになりたいから?
アフロヘアーをバカにされたから?
私は違うと思う。

もちろんゼロとは言わない。でも、おそらくは個人の好みとしてそういう髪型にしたいから、だと思うのだが、みなさんはどう思われるだろうか。
(これは、髪型をバカにされたからを想像したからといって不正解という話ではもちろんない)

前に、ダウンタウンの黒塗りが問題になった時も思ったのだが、少なくとも2020年の日本において、日本人が肌を黒塗りにするのって、黒人の方をバカにする意図ではなく、その見た目に近づくのが目的だと思うのだ。
私はオタクなので、主にコスプレを想定している。ゲームやアニメには肌の黒く、かっこいいキャラがたくさんいる。仮にコスプレイヤーがそのキャラの容姿に近づこうとして、肌を黒く塗ったら差別だろうか? 黒塗りは差別なんだから差別? いや、そんな馬鹿な。

ブラックフェースの歴史的な問題はミンストレル・ショーなどでググッていただきたいのだが、そういった所と別な場所から出てきたであろう文脈が違うものを、画一的に扱っていいとは私にはどうしても思えない。しかし、2020年現在、もしもこれをやってSNSに上げたならば、差別だ!と叩かれて撤回、謝罪に追い込まれる可能性がある。ポスターの案件はそれを示唆したと思うし、私はそれをよい状況だとは思っていない。

私は先に挙げたようなコスプレの黒塗りなどは、少しずつでも発信されて、その意図が紹介されていったらいいと思うし、ましてや撤回させられるべきでもない。最終的にはその意図すら説明不要になったらいいと思う。

きっとこの意見には、2020年の段階ではまだ早い、という反論がつくのだろう。もちろんそういう意見もあると思うし、きっとまだ時間がかかることなのだとも思う。
それでも、それが差別だって言われる状況、段階的にでも解消していかれるべきじゃないだろうか。

「こういう行為(例:肌の黒塗り)は差別だ!」とする事が必要な時代があった。必要な時代があったのは確かだ。たしかに必要だったのだと思う。
しかし2020年はどうなのか。
あるいは2030年なら?
2050年ならどうだろう。
法律が古くなって改正するように、いつまでもそれが適切かといったら違うのではないか、と。

きっと2020年時点ではこんなことを言ったら怒られるのだろう。けど、私はあの広告を差別だ、撤去せよと言ってる人達を見ると、時代に合わない古い校則を改正せず、校則があるのをいいことに、お前は決まりを守っていない、と指導する先生かよ(もちろん良心や優しさから、異議を唱える方も大勢いるんだと思いつつ)…と、ちょっと思ってしまうのである。少なくとも日本でやる分においては。

誰かが○○したい、○○のようになりたい、と発話する時、そう思うのは差別のせいであるという枠に押し込めていないだろうか。果たしてそれはよいことなんだろうか…と。

2030年、
あるいは2050年に、
「当時はこれが差別だって騒がれてたらしいぜ…」
「まじかよ…」
と若い人達に言われるようになっていたらいい。

そのように私は思うのである。