017のネタ帳

ポケモン二次創作ネタとかが多いです。

2/2 ポケモン民俗妄想

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デデンネ

 デデンネがヒゲを通して電波、電気の類を仲間同士の情報伝達に使うことは、その呼称がなんであれ古くから経験的に知られていた。それらの力が集まったものが雷である、ということも昔の人々は感覚的に判っていたのだろう。空に雷が繰り返し轟く事をデデンネの口喧嘩と表現している。
 やがて科学者たちはデデンネの情報伝達を研究し、機材などを用い再現しようとした。これらの試みは電報、電話などの電信技術の発展として花開いていく。電話の開発者であるベルは新聞社のインタビューに応え、「我々はやっとデデンネに追いついたのです」と述べたと言われる。


ポリゴン2

 ポリゴンやポリゴン2は現代になって開発、アップデートされたはずなのだが、古文書や遺跡の石板、陶器などに似た姿やシルエットが見られる事がある。多くは愉快犯で捏造なのだが、一部は年代的にも本物があって、偶然の一致なのか、普遍的デザインなのか、考古学者の間で議論の的になる。
 陶器で似ているとされるのは圧倒的にポリゴン2である。品目として多いのはポケモンを模した水差し、急須だ。開発以前は抽象化したオニドリルスワンナとされていたが、ポリゴン2が開発されてからは、「ポリゴン2だろ」「どう見てもポリゴン2」などと博物館の展示品にツッコミが入るようになった。
 初めは戸惑いを見せていた博物館学芸員だったが、最近は気をよくして「江戸時代の名工が作ったポリゴン2の急須、ぜひ本物を見に来て」とアピールし始めた。
「苦情? シルフにはあらかじめ相談してますから大丈夫。パンフや展示品に解説にも、ポリゴン2シルフカンパニー登録商標ですと入れてますよ」


バンギラス

 わが国では古来より修験者は鉱山師を兼ねていた。修行で山を巡る傍ら、鉱山となりえる山を探していたのである。彼らは一定の距離を置きつつ、バンギラスを追って移動した。バンギラスが地響きを轟かせ、山が地面が割れる時、鉱山か否かを見抜く指標の一つになった為だ。
 ひとたび鉱山が開くと鉱夫達が集まって集落を形成し、鉱石の採掘にあたった。鉱夫は小柄な者が多かった。狭い炭鉱の穴の中を掘り進むには身体が小さいほうが都合がよかった為だ。その姿は土を食べ地中を掘り進むヨーギラスのようでもあり、鉱夫が穴の中で死ぬとヨーギラスが生まれるのだとも伝わっている。


ゲコガシラ

 ゲコガシラは水手裏剣を投げるために石を投げ修行しているが、時々生息地に入ってくる人がその的になることもあり、泡がついついるのですぐにそれと分かる。泡の石を当てられることは不吉とされ、よくない事が起きるという。そんな時は石を当てられた部分を藁の人形で撫で、川に流す。

1/28ポケモン民俗妄想

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ベトベトン

 死んだポケモンの事が忘れられないなら、そのポケモンが入っていたモンスターボールをヘドロの海に投げ捨てると良い。魂ごとボールを取り込んだヘドロがベトベトンになって会いに来る、という。
 行う人は大変少ないけど、僕はそうして今も彼女と一緒だと理科系の男が話してくれた事がある。
「元のポケモンはなんだったの?」
「さあ、それは聞き忘れた」


アブリー

 アローラの島にある期間は入ってはいけないという花園がある。昔、禁を破って花を摘みに村の娘が入ってしまった時、オーラを察知したアブリー達がわらわら集まってきて、大群となって娘に覆い被さり、娘は花粉だらけにされてしまった。
 やがて娘は身ごもってアブリーと人とのあいの子を産んだ。その姿はアブリボンにそっくりで、アブリー達に可愛がられたという。今、アブリー達がアブリボンに進化するようになったのは、生まれたあいの子と契ることで人の血を取り込んだからなのだという。


オニシズクモ

 大事なものは水泡の中にしまうというオニシズクモはその容姿と大きさから、様々な恐ろしい伝説を生んだ。人間の頭蓋骨を水泡の中に収集している人喰いオニシズクモの話は有名である。また、トレーナーがオニシズクモを遺して世を去った場合、水泡に亡骸をしまいにくる、とも言われる。


エネコとねこのて

 トレーナーの手持ちのポケモンの技を借りてきて自分の技として使う、ねこのてという変わった技が使える。これは先祖代々の親のエネコロロが自分の寝床を他のポケモンに譲る事で、ポケモン達にある種の貸しを作っているからである、という言い伝えがホウエンにある。
 ねこのてに関する言い伝えはねこポケモンによって様々で、上方(ジョウト地方の一部)では、ニャースはあらゆるポケモンに金を貸しているために利子を大目にみるのを条件にあらゆるポケモンの技を借りられるのだという。やはり世の中はねこにこばんなのだ。

次回のコミケ、あなたは行くか、行かないか

詳細を知らない方は各々調べていただきたいのですが、コミケ(C95)で出たらしい「韓国人・中国人お断り」張り紙の件。
現時点で、考えているところを書いておきたいと思います。

まず、本当に張り紙があったのか?という疑問に関しては、あくまで私自身がツイッターで聞いて回った感触から、「おそらくはあったんじゃないか(でも断定はダメ)」という風に思っております。(推定無罪の原則)

少なくとも準備会は推定無罪の原則にのっとって事を進める必要があります。事実と確定するにはスタッフが複数人で確認した上でサークル主に話を聞くくらいじゃないとだめなんじゃないでしょうか。仮に何らかの処分を下すとしても経過を見守る必要があり、早急に何かを決定するのは不可能です。少なくともC95時点では、当該サークルが存在したとしても、何らかの働きかけをすることは難しいと考えます。
そして処分の是非などは別途議論する必要があるように思います。

私はこの件を何人かのツイッターフォロワーとDМなどを通じて話をしました。
「私はやらない。そういうのダサイと思う。けれど頒布対象を選ぶ自由もある思う。(嫌だけど)」といった反応が多かったように思います。

私自身はといえば、自分の頒布してるジャンルでこんな張り紙があったら嫌だなぁ。コミケにも報告すると思う。その上で準備会の回答が今回と同じものだったら、納得しないだろうな…と思いました。

ただ一方で、次のような意見も持っています。
信仰上の理由からケーキ屋がゲイのお祝いのケーキ作りを断るのは(差別には違いないが)店側にもお客を選ぶ自由がある、というものです。
そうなると究極的にはサークルが頒布対象を選ぶ自由を(嫌でも)認めなければ、整合性がとれないのでは…という風に矛盾が発生しており、大変弱っているところです。
(尤も、法律に照らしてそもそもアウトなのではとか、そもそも比較対象としてゲイケーキが適当なのかという議論はあると思いますが)


ですので私自身は、C96申込時に下記のように意見してみようと考えています。

・今回の件は(事実関係の確定はともかく)準備会としても望むところではなかったと考える。
・ただ、C95反省会時の発言は、言葉が足りな過ぎたとも感じており次のように要望したい。
・ホームページ上やコミケットアピールなどで、「コミケットとしてはこの場を特定の属性(国籍、性別等)で区切られることのない開かれた場にしていきたい。各サークルはコミケの理念を省みて、多種多様な表現物を多くの人が享受できるよう今一度考えてみて欲しい」といった感じの「方向性」を示してはどうか。

これに対しては本当にたくさんの意見があると思います。
甘いという声もあるでしょうし、サークル側の責任で行う事に対し、準備会は極力干渉すべきでないという考えもあるように思います。
サークル申込みする皆さんは申込時に各々意見をぶつけたらいい。ツイッターで@を飛ばすよりは、参考にされる可能性が高いように思います。

 


さて、ここからがこの記事の本題です。

今回の件があって(断定はできないがそれに対して反省会で回答があった事で)参加者からは様々なネガティブな反応が見られました。
コミケの往年の参加者の中からも、「対策や声明がなければもうコミケには参加しない」などの声が上がっています。

読んでいて大変心が苦しかった
この人にとっては本当に譲れない一線なんだろうな、という事が伝わってきたからです。
それを読んで、あるいは自分なりに考えて夏の参加を迷っている方もいるのではないだろうかと思います。準備会の出方次第、そう考えている人も多いでしょう。
あるいは準備会回答に批判的でありつつも、それはそれとしてコミケには参加するという方もいると思います。
そして、もしかしたら、そういう自分の態度に若干のうしろめたさを感じている方もあるかもしれないと想像します。

そういった方がもしいるならば、こう伝えたい。

貴方はコミケに参加すべきだ、と。

むしろ、差別に反対なればこそ、積極的にコミケのサークルの1スペースを取りに行くべきだと思います。
それは議会の議席をとりにいくような行為だからです。
当選が叶えば少なくとも、ああいう張り紙をするサークルが出る事を1サークル分は防げるでしょう。そして、ああいう張り紙をしていないサークルの本を買って応援しようではありませんか。

何を当たり前な、現状維持な、と思われるかもしれないですが、そういう当たり前、いつも通りを維持する事こそが現場で差別に反対するという事なのではないだろうかと私は考えます。
残念ながら、差別との戦いに終わりはありません。
差別との戦いは絶え間ない営みの中にあります。

コミケにお客様はいない」という言葉を今こそ思い出しましょう。
お客様ではなく、参加者として場を作っていく。
それがコミケを作るという事です。


こう考えたにはきっかけがあります。
「もう参加しない」「参加したくない」、そんなツイート達をエゴサーチしながら悲しみに暮れて見つめていたら、この休日、こんなツイートを見つけました。

「反ヘイト本を作ってコミケで頒布してみたい(要約)」

殺伐としたタイムラインに一筋の光が指した気がしました。
そっか、抗議する方法って一つじゃないんだな、と。
それぞれの考えなりのやり方があっていいのだと。

そして、(たとえ張り紙の是非の意見が違おうとも)頒布先の可否を属性で決めたりしない多くの人達がいつも通りやる事も大事なんじゃないかな、と思えました。


頒布先を属性で決めない。
いつも通りコミケをやる。
そしていつも通りコミケを楽しむ。
大抵のサークルが当たり前に、自然にやっている事をやり続けましょう。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

草ポケモンとクリスマス @pijyon

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「クリスマスの時期になると町の外れに住んでいるおじいさんがどこからかユキノオーを連れてきて、お腹や背中に赤や金の飾りをつけ、街を散歩させていたものです。故郷を離れて十数年が経ちますが、その光景が今でも目に焼き付いているのです」

 そう話してくれたのは海沿いにある教会の神父さんだった。クリスマスの礼拝も終わった25日の夜、縁あってディナーを御馳走になったのである。彼はシンオウの出身であり、近くの山にはユキカブリユキノオーが生息していたらしい。

 ところで、近ごろSNSでは似たような流行があるようだ。それは草ポケモンにクリスマスの飾りをつけ、写真をアップするというというもので、まさに例のクリスマスおじさんがたくさん現れてオンライン上に可視化された状態とも言えよう。
 私が確認した限りでは、ナゾノクサドダイトス、ナッシー、バオップモジャンボ等である。

 ナゾノクサは葉っぱの生え際にワンポイントの飾りをつけてかわいいものだったが、ドダイトスは本格的な飾りと電飾をつけられてちょっと迷惑そうだったし、ナッシーはあきらかに季節感を損なっていた。そしてバオップはリーゼントが重そうだった。
 一番かわいそうなのはモジャンボで電飾が幾重にも体中にまきつき、逆からみつく状態である上、電飾の光り方が主張が強すぎの感が否めなかった。
 話に聞くには美しいが、やはりやりすぎはいただけないものである。

 近年は近所の家のイルミネーションが眩しすぎて、家の人が気合いを入れすぎて、という話もしばしば聞くところであるが、草ポケモンに装飾にしてもポケモンが嫌がらない範囲で、わきまえて行いたいものであるし、承認欲求を満たしてもらった奉仕分のプレゼントはポケモンに対してもしっかりとしたいところである。

ドーブルと浮世絵師の話 @pijyon

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 江戸の絵師の仕事には、鼠避けの猫(コラッタを追い払うペルシアン)の絵や、疱瘡除けの赤い獣(ガーディやブーバーなど)を描くというものがあり、筆犬(ドーブル)が手伝った絵には命が宿り、より効き目があるとしてありがたがられた。
 が、ドーブルに仕上げをさせた結果、本当に命を得て、描いた絵の馬(ギャロップ)が走り去ったとか、農作物を荒らしたとか、寺の天井画の龍(ギャラドス)が毎夜抜け出して周辺住民がビビるなどがあり、安易にドーブルに頼るのも考えものであるとして戒められてもきた。百鬼夜行なんぞ描かせた日には大惨事である。
 そんな訳で江戸の浮世絵師の間ではドーブルに画業を手伝わせてもいいが、最後の目の瞳の描き入れだけは必ず人間の絵師がやれという教えがあったという。

 ポケモンを描いた傑作にはかつて絵が抜け出して遊んでいたという逸話が付属する例が多い。
 秀でた浮世絵師はドーブルが手違いで人に生まれたなどと言われたもので、葛飾北斎などはその筆頭であった。

 また、ドーブルに関してはこんなエピソードもある。
 浮世絵の一ジャンルとして有名な、いわゆる春画は風紀を乱すものとして幕府の取り締まりの対象であった。故に浮世絵師も別の画号を名乗って描いていたくらいだ。葛飾北斎は鉄棒ぬらぬらというペンネームで春画を描いていた、というのは有名エピソードなのでご存知の方も多いだろう。
 そうしてもう一つの逃げ口が「これは筆犬が勝手に描いたのだ」というものであった。
 ある時、春画を描いたとして浮世絵師が捕まったことがあったが、大岡何某という奉行所のお偉いさんが、「あれを描いたのは筆犬だからしょうがないよネ」という沙汰を出してすぐに家に帰した事があって以来、そのように言うようになったという。

神社で祈願

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 わが国でトレーナー制度が確立して以降、神社における祈願において、バトルの勝利祈願は大変にメジャーなものとなった。それは自身の勝利祈願であることもあれば、身内や友達の為の祈願である事もある。もはや神社が本来のご利益に加えて、勝利成就を掲げるのは当たり前である。
 そして、比例するように増えたものがある。それは「誰かが負けるように」という呪いである。

 私が見知っている方法には、神社の絵馬を買い、描かれたポケモンを黒く塗って、呪いのターゲットが負けるように願って奉納するというものだ。そうすると絵馬から抜け出した黒いポケモンがターゲットのところに行って、災いを齎すというのだ。

 呪いの絵馬に関しては見つけ次第燃やすと宣言している神社も多いが、一定周期で呪いブームが起こり、神社側も苦慮しているという。

 むしろそういった神社側の対策から生き残った絵馬こそ呪いの力が強いと考えられているフシがあって、呪い絵馬の奉納は後を絶たない。

 甚だ荒唐無稽な話ではあるが、神社の境内や鎮守の森で黒いポケモンをみかけた、黒いポケモンに襲われた、という報告はSNSなどで後を絶たず、そういった書き込みがさらなる呪いを喚起しているという様相だ。

 オカルト好きなトレーナーの間ではゴーストポケモンの一部はこういった行為から生まれているのではないか、などともっぱらの噂である。

 このような現象からめざとく商機を感じ取った一部神社はウインディを刺繍したお守りを売り出すなどを始めたようだ。さすが祭神がニャースの神社、商売には敏感である。ガーディやウインディ御朱印も大人気だという。

 御朱印といえば、ポケモントレーナーの修行の旅がてら御朱印を集めているトレーナーは多い。
 御朱印帳がいっぱいになる度に実家に送っている、と語ったのは昨日話をした女性のトレーナーだった。そろそろ八冊目が埋まるのだと言っていた。バッジは集まらないのに御朱印帳は溜まっていくと実家の親からは嫌味を言われるという。

 神社の授与品である焼物や張子のポケモンもかわいいものが多いので、実家を授与品だらけにしてしまうトレーナーもいるようだ。しばらく愛でた後に実家に送るのである。さる家に泊めてもらった時に
「これが手紙の代わりね。どこに行ったかという意味ではわかりやすいわね」
 と、家の奥さんが出窓に飾った授与品を指して話してくれたことを思い出す。

 もちろん旅に出た子どもの安全、といったものも神社ではよく見られる祈願である。時々、旅はほどほどにして早く帰ってきてくれますように! なんて祈願してしまう親もいるそうだが。

 帰ってきて、といえば、年末年始になると帰省するトレーナーは多い。親子で連れ立って初詣に行く、というのは子を待つ親の楽しみの一つであるようだ。

化石の秘密

 

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 最近それなりに長いトンネルを通った事があったのだが、そこで工事をしていた作業員さんがアーケンを繰り出してきた。鳥ポケモンの祖先と噂されるさいこどりポケモンだ。おそらくはトンネルの掘ってて見つけた化石を復活させたんだろうと思う。
 なんだかいいなぁと思ったので今回は化石の話でもしようと思う。

 調べてみたところによると、化石と最初のポケモンが結びついている町はいくつかあるようだ。化石が多く産出されるさる地方の町では、子ども達は九歳になると博士と化石を堀に行くという。十歳になったらそれを復活させて旅のパートナーとする為だ。子供たちは化石を傍らに置いて、パートナーとの出会いを楽しみに九歳を過ごすという。

 化石は町おこしのにも活用されており、化石が出る町には化石グッズがたくさん並ぶ。例えばオムナイトの化石は半分に切った時の小部屋(気室)の美しい螺旋構造から、小さめのものをアクセサリー、工芸品にする等も盛んに行われている。化石が有名な町の長も「オムナイトの気室には古代ロマンが詰まっている」とアピールしている。
 一方で近年、ポケモンの化石を利用した製品は残酷だなどの声も聞かれるようだ。皮肉な事にそういう声をあげるのは化石の復活経験を持つ地元の人間だったりもするので、町も一枚岩、というわけではないようである。

 ところでふと思ったのだが、「化石の復元」が可能なら、かわいがっていたポケモンが死んだ時、そのポケモンの骨から同じ個体を復活させようという発想する人がいそうではある。別個体にはなるだろうが、同じ遺伝子を持たせる事くらいはできそうだ。ただ、法的、倫理的な論争は避けられそうにない。実際にやっていたとして非合法、表に出てくる事はなさそうにも思われる。

 そんな事を考える人は当然ほかにもいるらしく、創作分野ではメジャーなテーマらしい。以下は年少トレーナー向けの雑誌に掲載された漫画の一部で、ポケモンセンターの待合室にも置かれているような雑誌に掲載されていたものである。

 あるイーブイは幸せに暮らしていたが、ある時彼の前に一匹のゴーストが現れる。
「お前は私だ。私は生前イーブイだったのだ」
 イーブイは聞かされる。自分は化石の復元技術を応用して、主人が前に飼っていたイーブイをもとに作られた存在だったと。
 イーブイが死ぬたびに主人は復活を繰り返す…家には行き場のない魂が増えていく……。

 また、ホラー作品や都市伝説の類として、次のような話もある。
 化石が産出する地域では「悪い子は魂を抜かれてしまう」というものだ。

 というのも単純に化石を復活させてもそれは肉体の復活に過ぎず、意思を持ち自律的に動くようにするためには人の魂が必要なのだ、という理屈である。
 旅立つトレーナーの分のポケモンを確保するため、博士は化石に入れていい魂を日々探している、それは地元の悪い子だったり、騙して招き入れた旅のトレーナーだったりする。研究所の地下室には悪い子やトレーナーが捕えられていて、化石復活のたびに捕えた人間の魂を抜き、復活させた肉体に注入してるのだ……という筋書きだ。
 化石に注入された魂ははじめの頃こそ反抗するが、そのうちに肉体の方に引きずられて、人間としての自我は消えていき、ポケモンとしてふるまうようになる。トレーナーは懐いたと無邪気に喜ぶ、というなんともホラーな内容である。

 おそらく最初は夜遅くまで起きているとヨマワルが迎えに来るぞ、といった類の話の変形だったのだろうが、厄介な噂を流される町の博士は大変だなぁと同情するばかりである。