017のネタ帳

ポケモン二次創作ネタとか。

焚火とナイフ

 時折ぱちぱちと爆ぜる焚火は青年が手に握るモモンを橙に照らしている。藍色の空にはとうに月が昇り、昼間は青く燃えていた山々は黒い輪郭が見えるのみであった。
「うまいもんだねえ」
 橙に燃える焚火の向こう側、煙が向かう方向で山男が言った。
 煙男。焚火を囲うとなぜか煙に好かれ、煙を引き寄せてしまう者がいるもだが、彼はまさに煙男であった。
 青年は左手でモモンの実を回す。右手に持つナイフはその薄い皮を途切れることなくはぎとってゆく。
「トレーナーになってさ、ナイフの扱いはだいぶうまくなったつもりだけど、未だに皮むきだけはだめなんだ」
 そのように漏らす山男は焚火の上でことことと音を立てるコッフェルの中身をかき混ぜる。三徳の上に置かれ、下から炎にあぶられたコッフェルが湯気を吐き出す。あたりにはマトマ特有の食欲をかき立てる匂いが漂っていた。
 野山を旅していると前に通った者の痕跡を見つける事がある。特に竈の跡はその主たる例で、通ったトレーナーがまた同じ場所で焚火をしていくうちにそこは決まったポイントになる。だから時としてそんなポイントでトレーナー同士が鉢合わせになることもよくある事だった。そんな時、決まって彼らは食べ物を出し合い、会話に花を咲かせ、一時の邂逅を楽しむのである。
コンソメをありがとう。切らしてて参ってたんだ」
 山男がそう言うと、いえ、ご馳走になりますから、と青年が答えた。
 モモンの皮をむき終わった青年はそれを半分に割ると中の大きい種を取り出した。実を一切れ切り出して、肩で羽毛を膨らませる小さな鳥ポケモンに差し出した。ぱっと素早い動きで鳥ポケモンがそれをついばんだかと思うと、もう切れ端は青年の指先から姿を消していた。緑色の玉ようなそのポケモンはその一切れで満足したらしく目を細めてまどろみ始める。
 青年は残りのモモンもう何分割かして、湯気を吐き出すコッフェルにそっと入れた。山男がそれをおたまで押し潰し、更にかき混ぜる。マトマはとても辛い。だからこうして他の木の実を入れ、味を整えるのがスープ作りのコツなのである。
 青年は刃についた汁を拭き取ると鞘に入れ、リュックのポケットに収納した。
「そういえば君のナイフは何由来なの?」
 相変わらずコッフェルをかき混ぜながら山男が尋ねてきて、
エアームドだと聞いています」
 と、青年は答えた。
 それは九歳の時に父親から買い与えられたナイフだった。まだ早いだろうと母は言ったが、十歳になれば旅立つ子もいるんだから、今から人並みに使えるようにしておかなければ恥ずかしい、と父は譲らなかった。将来学者になるにしろ、トレーナーになるにしろ、ナイフの扱いは必要な技術だから、と。
 トレーナーズショップでナイフを購入したその日、父子は近くの河原での野宿を敢行した。そうして彼らは木の実の皮をむいた。父の持つナイフの刃先からするすると長細い皮が下に伸びるのが少年には不思議だった。ほとんど形の同じナイフを使っているというのに彼の手からはたっぷりと果実を残した皮の破片がこぼれ落ちるばかりであったからだ。
 換羽した鎧鳥が落した羽。それを熱し、打って作ったナイフ。父と自分でこんなに差が出るのは落とし主のエアームドのレベルが違うからではないか。かつての少年は幼心にそんな事を考えたものだ。
「俺のナイフはね、元はハガネールの一部だった」
 ベルトに装着したナイフを引き抜くと山男は語った。ぱちっと焚火が爆ぜる。男の両手の上のナイフを橙に照らしている。
 サバイバルナイフ。それは父がトレーナーとして旅立つ子に贈るプレゼントの定番だ。野外での料理、竈や寝床を作るための木材の加工、時には野生ポケモンから身を守る道具として。ナイフは旅するトレーナーに欠かせないアイテムの一つである。
 特に鋼ポケモンを構成する鉄から作ったナイフは値こそ張るものの、錆びにくく、手入れも簡単だと言われ根強い人気がある。
 そして何より、人々はポケモンの生命力をナイフに投影しているのである。換羽したエアームドの羽、親の相棒だった今は亡きボスゴドラの角、あるいはクチートの牙。人々はもとは生きていた何かにある種の神性を見出すのだ。
 “ナイフとは七匹目の手持ちである”
 世界の名だたる山を制覇した偉大なレンジャーが愛用のナイフをそう称したのは有名だ。
 青年のそれより一回り大きい山男のナイフは折り畳み式である。持ち手と刃の間にあり、折り畳み時の回転軸でもある丸いピポットピンは青い光沢のある素材で出来ていて、洒落ているなと青年は思った。
「俺の出身はシンオウでね、鋼鉄島というところにハガネールの生息する洞窟があるんだ。ハガネールが通るとまれに突起の一部が欠ける事があって、ハガネールのおとしもの、という。それを拾った曾祖父がナイフに加工したんだ」
 以来、メンテナンスと改造とを繰り返しながら子から子へとナイフは受け継がれてきたのだと山男は語った。
 焚火が躍る。山男は手の中でくるりとナイフを回転させた。軍手をしたごつく大きな手がナイフの持ち手を握る。山男は何とも愛おしそうにナイフを見つめる。
「曾祖父の顔なんて見たこともないし、祖父も俺が旅立って二、三年で死んじまった。だがこいつは未だに現役ってわけよ」
 やがて山男は焚火からコッフェルを下ろし、地面に置いた。中の半分を小さなコッフェルに移し替えると、立ち上がり、熱いから気をつけてな、と青年の足元に置いた。
 いただきます、と青年は応え、コッフェルの熱さを指先でつつきながら確認し、持ち上げる。肩で丸まる緑の小鳥――ネイティを落とさないよう気を付けながら、彼は赤いスープを啜った。辛いマトマのスープがみるみる身体を温めていく。コッフェルから口を離して、ふうっと息を吹くと白かった。暦の上ではもう春だとはいえ、まだまだ夜は冷える。緑玉は結局肩からずり落ちてきた。受け止めて、膝の上に下ろしてやる。
 焚火の煙は相変わらず山男が好きらしく、ずっと彼にまとわりつき、離そうとしなかった。当の本人の顔は少しすすけていたが、もう慣れっこなのだろう。気にするでもなく手元のナイフを眺めている。
「……これは俺が駆け出し頃の話なんだが」
 山男はぼそりと語り始めた。
シンオウも飽きたんでジョウトを旅してた時期があった。そこで運悪く穴持たずのリングマに出くわしてしまった事があってね」
 穴持たず。それは冬でも冬眠せずに動き回るリングマの事である。身体が大きすぎて、良い冬眠場所がないとか、秋に十分食べられなかったとか、考えられる理由はいくつかあるのだが、よく言われるのは冬に食糧を得なければいけない彼らはえてして凶暴で、力も強い事であった。
「手持ちポケモンはみんなやられた。これ以上戦ったら死んでしまうくらいの重傷を負って、もはや出す事も叶わなかった。その時に助けてくれたのがこいつだよ」
 山男は折り畳んだでいたナイフの刃を引き、刀身を見せた。青いピポットピンが回ってカチリと鳴る。彼の膝の上に突き立てるように見せられたナイフが焚火の橙に照らされた。
 一本のナイフ。野外での料理、木材の加工、時には野生のポケモンから身を守る手段として――。青年は脳裏にリングマに立ち向かう体格のいい男の姿を浮かべた。九死に一生、火事場の馬鹿力。男はナイフワークをもってしてリングマを退けたのだと。ポケモンより強いトレーナーはごくたまにだが存在する。
 だが、山男が語ったその先は青年の予想とはだいぶ違っていた。
「刺し違える覚悟で俺はこいつを手にとった。だが、俺がリングマに突撃する前に、勝手にこいつが手から抜けて、穴持たずの目を刺しやがったんだ」
 青年は一瞬、その意味を理解する事が出来なかった。男が投げるでもなく、ナイフがひとりでに手から抜けてリングマを刺したというのだろうか。
 だが、男の持つナイフの丸く青いピポットピンがぱちぱちと瞬きをしたその瞬間、その意味を瞬時にして理解した。
ヒトツキ……ですか」
 青年は声を上げた。
 青いそれはもはやピポットピンではなかった。それはポケモンの眼であった
「お、珍しいな。めったに起きないのに」
 山男もまた声を上げた。
 ヒトツキ、刀剣ポケモン。海の向こうのカロスではよく知られるゴーストポケモンだ。その姿は西洋の騎士が持つ剣の形が一般的だが、ごく稀に槍の形をしたものや、レイピア、日本刀などの形をしたものもいるという。
付喪神……」
 青年はそんな単語を呟いた。
 百年を経た道具には魂が宿るという。ヤジロン、コイル、ビリリダマ、チリーンといった付喪神的なポケモンはたくさんいるが、青年の知る限り彼らの多くはタマゴから生まれている。生粋の付喪神としてのポケモンに出会う事はめったにないし、そういう存在を認めない学者も多い。彼らがポケモンである事はボールを使えば証明できるが、モノからポケモンへ変化したと証明するのは難しいからだ。
 二人のやや興奮した挙動を察知したのか、寝息を立てていたネイティが目を覚ました。山男の手の中のヒトツキがふよふよと浮遊しながらこちらとの距離を測っているのを見て、赤いアンテナのような冠羽をピンと立てた。
「穴持たずに出くわしたその年が百年目だったんですかね」
 青年は山男の「ナイフ」を見据え、言った。
「さあ、九十年くらいだったんじゃないか。案外いい加減なものだと思うよ。それこそのっぴきならぬ状況だったから、仕方なく、じゃないのかな。こいつ普段は寝てるんだ。ほとんどナイフに徹してるんだよ」
 今夜はどうしたんだろうな。
 不思議そうに山男が言った。青年はただ曖昧な笑みを浮かべるだけであった。彼はピンと冠羽を立てるネイティをなだめるように撫でる。そうしているうちに緑玉はまたうとうととし始め、合わせるようにしてヒトツキも刃を回転させて持ち手に納めたのだった。それでもしばらくは青い眼が見つめていたが、途端に瞳がすうっと消え、元のピポットピンに戻ってしまった。
「ナイフは七匹目の手持ち、か」
 青年はその言葉を今、実感を持って呟いていた。
 藍色の空の下、橙に燃える焚火が二人のトレーナーを照らしている。そこから生まれる煙は相変わらず山男にまとわりついている。炎はぱちぱちと音を立て、念鳥を撫でる青年の影を揺らしていた。

 

f:id:pijyon017:20200609053049j:plain