017のネタ帳

ポケモンの二次創作ネタなどを思いつくままに書いていきます

幸色のワンルーム 批評など

「幸色のワンルーム」がドラマ化という事で、いい意味でも、悪い意味でも話題になっている。自分もツイッターでこの話題を知り、色々思う所をツイートしたのでまとめておこうと思う。

私の「幸色のワンルーム」に対する思いは複雑なものがあり、
・批判的観点
・読んでみた上での感想、批評
・同じ貉の穴にいる創作者として思う事
の主に三つからまとめてみたいと思う。

 

■■批判的観点

これに関しては、下記の記事を読んでもらいたい。
おそらく現行四巻まできっちり読んだ上での批判的な論評である。
私がもやもや考えていることと少しリンクする部分もある。

「幸色のワンルーム」は許されるのか~誰が彼女を監禁しているのか?

rainbowflag.hatenablog.com

 

幸色のワンルームに対する自分のスタンスは、成立背景に批判されるような要素があり、それについて批判が出るのは仕方ないし、批判(批評)する自由がある。
しかし、批判するからには、上っ面の情報から批判するのではなく、作品を読んだ上で批判すべき。というもので、記事はそれをクリアしてる。
作品を読みもせず概要から、周りにつられていると思われる批判も多い中、作品を読んだうえで、意見を書いた少女ブレンダさんにはその観点から敬意を表したい。

実際私自身も、成立背景には多少批判的であり、

・明るみに出た誘拐事件
・被害者に対する二次加害の言説
(被害者は家出して男と同棲しており、いつでも逃げさせた、生活に飽きたので裏切り罪を被せた等、個人の憶測妄想の域を出ない発言がさも事実であるかのようにtwitter上に多数散見された)
・そういった状況の中で、大元となる漫画のラフが上がり、拡散する

これらには因果関係のある可能性が高く、批判の噴出やむなしと思う。

ただ、擁護をするならば、二次加害言説が被害者本人に向けられていたのに対し、漫画はあくまで被害者本人ではなく、架空の登場人物が設定されており、被害者≠漫画の女の子である点は、留意したい。
が、それにしてもタイミングが悪かったし、炎上商法、便乗商法が邪推されても仕方なかった。
が、断定表現は避けたいと思う。

 

■■読んでみた上での感想、批評


■おおまかなストーリー

1巻までは誘拐犯との幸せな?生活を描く。
2巻以降サスペンスになってくる(本格的なものに比べればファンタジー的なのは否めないが)。マスクのお兄さんのアウトロー性が描かれるエピソードもあり、僕が誘拐犯ですと狂言をして動画を上げている人物と、幸との関係が明らかになる。
3巻は変態と異常者の対決(ここはなかなか熱かった)で、新キャラの探偵が出る。
4巻は幸が異常者として覚醒、茶番であると確信した上、共同生活の継続を試みる。探偵が接近で終わり。

着想を得た経緯は兎も角、内容自体は誘拐を美化ではないと思う(1巻のみだとそう見えるかも)。2巻以降に本当は保護を選択すべき、というような文言も出てくる。というか、メイン登場人物が全員異常者なので、通常の倫理観で考えるべきでないのかもしれない。移ろうアウトローの話として読むべきかもしれない。


■批評、主にリアリティの観点から

例えばこれはファンタジーですよ、と示すために、冒頭に誘拐されて殺された女の子のニュースや事例を入れられれば、印象がかなり違ったと思う。実際はこうなっちゃいますよ、という事例。
それによって、「幸とお兄さんの例は極めて特殊である」という事が強調できたと思われる。それでも批判はあるだろうが、配慮やフィルターってそういうところなんだろうな…と思う。
友達の感想だと、お兄さんに初期から懐きすぎだという指摘もあった。

実際問題として、作者の方はどれくらい児童虐待について調べているのか?
当然物語は嘘な訳だが、ちょっと虐待児童の心理のようなものにちぐはぐな印象を受けた。(私も調べてはいないから印象だが)
またマスクのお兄さんについても同様である。虐待の描写が甘い。誘拐を喜ぶだけの説得力をもっと見せて欲しかった。

幸が攫われた初期段階で綺麗すぎる。もっと落差を出せなかったのか。
今あげた点をもし実写ドラマで深められるのなら、これは異常者の話として、少なくとも視聴者には誘拐を美化したものではない、と訴えられるだけの説得力を強く持つ可能性があると思う。(現行でも美化はしていないとは評価するが)

ただ、変態教師が児童に手を出す時、虐待されていて訴え出れない子を狙う、というのは実際にそうらしく、そのへんは結構リアルだったりする。

テーマがテーマだから青年誌並みのダーティさやリアリティが欲しかった。青年誌並みとはいかなくてもあと一歩踏み込んで欲しかったという気持ちがある。踏み込んだ上で、専門家による児童虐待の現状、家出少女の実態みたいの巻末についてたら、世間の悪い評価を蹴っとばせだ可能性もあるのでは。

古い時代には家から連れだされる事が救いだった時代もある。貧乏な寒村から遊郭に売られる女の子とか。今の基準からすればそれも不幸だけど、遊郭に行けば着物が着れて、踊りや歌を習えて村より美味しいご飯が食べられた。幸はその現代版とも言えるが、そこを作者がどの程度勉強してたか。

もちろんこれは私の好みであって喜んでいる読者層にそんなものは野暮なんだろう。だが、作者にはもっと勉強して欲しかったという気持ちがある。むしろふわふわした印象でここまで描けるんだから、取材を徹底したら、とんでもない傑作に化けた可能性がある。

あーこりゃ誘拐されたほうがマシだわって大人も納得して、中学生ももっと感情移入するだけの、そういうものをもっと入れこめる余地があったと思う。
今後も作品を出していくなら、もっと事前にリサーチして欲しい。世間の評価も変わってくるし、味方も増えると思う。そして描き切って欲しいとも思っている。


■作品の外側で対策する、という手もある

海外のドラマで自殺を美化してるって批判があって、相談できる機関の連絡先を掲載したというツイートを見かけた。

実際、単行本の巻末に「知らないお兄さんについてったらダメだよ。もし君が主人公のように困っていたら、この公共機関まで電話しなさい」というような情報があったら株爆上がりだと思う。

75万部出てる訳だし、リアルに救われる児童が出るのでは…。もしも児童が助けを求めてきた場合の連絡先はここだ、こういう機関があるのかっていう大人への啓蒙にもなる。

作者に自由に表現してもらって、読者を楽しませつつ、編集者や出版社がやるべきはここだったかもしれない。パッケージングで配慮するという手、あったように思う。

こういう事を考えていくのは、実現のするしないにかかわらず、今後、表現の発表はどうあると良いだろうみたいなののヒントになっていくのではないだろうか。

古典作品(70~90年代名作を含む)の文庫や歴史作品に解説がついてる場合があるが、ああいうのは現代作品にこそ必要なのかもしれない。

歴史マンガだと作品をより深く楽しむために歴史学の先生のコラムがくっついていたりする。もしも専門家による児童虐待の現状、家出少女の実態みたいの巻末についてたら、世間の悪い評価を蹴っとばせだ可能性もある。
(ファンタジーな世界観に浸るという意味では野暮かもしれないが…)

twitterで様々な意見を見て、表現(ストーリーや演出)の中でどうするかだけが答えではないとわかったのは大変勉強になった点だ。


■個人的に萌えた点

私立探偵の松葉瀬聖くんが可愛い。好みのタイプ。片目を隠してるのは目に傷があるからっぽい。この、俺が助けるんだ!ポジションってキュンとくるよね。
そういえばお兄さんもマスクをずっと外さないですけど、傷とかあるんだろうか…未だ名前も不明だし、この先どうなるんでしょうね?
幸がだんだんサイコパスっぽく?大胆になってきてるのは嫌いじゃない。


■勝手にラスト予想

・予想1
曽根崎心中ラスト。あるいはそうなる前にお兄さんが幸の死を回避しつつ自分だけ死ぬか、射殺される。幸は松葉瀬くんに保護されてなんとか生きる。
もはや作中では反故になってる感じはありますが、誘拐って時効あります? 継続中ならたぶん時効成立しないですよね。となると「逃げ切って結婚しよう」ってどう定義したら良いんだろうって問題がずっとあって。
そうなるとやっぱ曽根崎心中
いや、生きて! 二人だろうが一人だろう泥臭く生きて欲しい!

・予想2
お兄さんを失った幸は、松葉瀬の手をも振りほどく。そしてお兄さんと同じような法の外の誰でもない人間になる。ある時、虐待に遭っている少年に対し、一緒に行かないかと手を差し伸べる。あるいは自分と同じ道に行かないよう、しかるべき場所に保護を要請する。
そもそも誘拐お兄さんが、攫われた子供あるいは、身寄りがなくなって、アウトローと暮らすようになった人間っぽいので、連鎖してるフシがある。なのでループで終わるか断ち切るかは一つの見所だと思う。

・予想3
幸は一旦保護される。お兄さんはどっか逃げて、数年後に再開する。
もしハッピーエンドにするんならそのへんが順当と思う。

・予想4
単純に逃げ続けて二人の生活はこれからも続く。二人とも顔を変えてしまって、後に見つかったワンルームから二人が撮った写真が大量に貼られたのが発見されるけど、行方は杳として知れない…。

・予想5
やっぱりお兄さんは死ぬ。数年後、自立して暮らし始めた幸は住んでいるワンルームにお兄さんと撮った写真を貼る。

ラストによってもだいぶ評価の変わる作品なんじゃないかなと思うんで、どんなラストが選ばれるのか、そこは創作やっているものとして注目してる部分ではある。
結末を見た上で、世間がどう評価するのか、大変興味を持っている。


■楽しんでいる十代の子へ。野暮な警告

この物語は全体的に中二的ファンタジーだ。
異世界転生ものの亜種である。

そこに危うさがあり、いつ異世界から引き戻されてしまうのか、みたいなハラハラ感がある。「魔法使いの嫁」でもそうなのだが、クソみたいな現実を生きている子が、別の世界に生きたいという欲求に応えているなって思う。

ただ、現実に女の子を攫うヤローは魔法使いみたいに甲斐甲斐しく面倒見てくれないし、マスクのお兄さんみたいにイケメンで好きなご飯を作ってもくれないと思う。最初はそうでも飽きる。飽きるし、性的な見返りを要求したりすることもありうる。君が思い通りの人形にならないと悟り次第、下手すりゃバラバラにして、犯して殺すよーという事は嫌な大人として警告しておきたい。
(んなことはわかっとるわ! というあなたは素晴らしい。)

作者も言ってるように、創作の世界で楽しもう。
そして、そういう楽しさを味わう作品なんだと思うから、そこは楽しんで欲しい。

私は今あの物語を楽しんでいる十代から本を読ん取り上げるようなことはしたくないし、その権利もない。作者にもぜひどんな結末であれ、最後まで描き切ってほしい。
そして、現実の幸せは、誰かに与えてもらうのではなく、読者自身が足掻いて足掻いて、自身で泥臭く掴んで欲しいと思う。

 

■■同じ貉の穴にいる創作者として思う事

以下は、少女ブレンダさんの記事からの引用である。

私たちはある事件が起きた時、様々な想像を巡らし(中略)インスパイアされて何か作品めいたものをひとつ作ってしまうかもしれない。しかし、それは人として一体どこまで許される行為なのだろうか。

私はインスパイアされる人間なんでこれずっと考えてる。
というのも、実際世の中にある物語のだいたいって、この要素がふんだんにあるのである。
実際の事件の要素が入っているもの、そこから妄想が加速していくもの…
人形浄瑠璃の名作、曽根崎心中は実際の心中事件にインスパイアされて作られたものだった。FGOの英霊の多くは人を殺しまくった実在の人物だ。

正直、事件にインスパイアされて妄想することが、人として許されないのだとすれば、型月は獄門打ち首だし、創作者は全員首吊って死なないといけないと思う。
私は曽根崎心中にインスパイアされた作品を書き、同人誌発行している。これは許されざることか?罪悪感を負わなければならない事か?
基準は各々作っていくしかないだろう。

さて、ここで「幸色のワンルーム」への言及において
私に刺さった深志美由紀さんのツイートを紹介しておきたい。


「幸色のワンルーム」を潰したい問題、もうそういう日本になってしまったから仕方がないけど、読んでいる人だけならまだしも、少しでも作品を作る人がその流れに違和感や恐怖を覚えないならもうモノを作ることをやめた方がいいよ

この話題あまりハッキリ触れたくないけど、本当に楽観視できない。理由がどんなに耳触りよく正当に聞こえようと、「自分の曖昧な感覚で不愉快に感じるものは潰す」以外のなにものでもないからね。もう、そういう時代になってしまったから反抗しても仕方ないと諦めるしかないのか。

潰そうとしてないとかドラマだから悪いんだとかそういう表向きの言い訳はいらない。既に作品そのものの存在を許さないという活動になってることに気付いてないはずがない。その一端を担っている表現者がいるなら私は軽蔑するよ。

ちなみに、読者や、モノづくりをしていない人が作品を嫌いだと思うこと、文句を言うこと自体は別に正当な権利だと思うし、止めません。それで作品そのものの存在を消したいと思うことはできたら少し考えて欲しいけども、批判自体をするなってことじゃないのよ。不愉快に思うのが間違いでもないのよ。

ただ、いやしくも表現に関わろうという人がこれは気に食わんから一緒になって潰れてもいいや、と思ってるとしたら本当にそれは悲しいことだ。正義に、正当に聞こえる理由は何にでもつけられるし、もしもあなたたちが同じ状況に置かれた時、私は絶対あなたの表現を守る。あなたが諦めても守る。そんだけ

だから幸色のワンルームの作者のはくりさん、頑張ってくださいと思うし、沢山の人の気持ちを動かす作品を作った自分を誇って頂きたい。表現を守るとか偉そうなこと言っても私にできることなんてなくて、仲間が減る、叩かれる覚悟でこうやって呟くくらいしかないんだけどさ......

批判をやめろとは言わないし、不愉快に思う心が間違いでもない。ただ、考えて欲しい。ここから続く世界がどうなるか。本当にそれでいいのか。本当にそれでいいのか。本当にそれでいいのか?本当に、それでいいんですか?


タイムラインで幸色のワンルームが話題になると、私はいつもこの一連のツイートが頭をよぎる。
私は上がってる批判に一定の理解を示す立場ではあるが、実在の事柄にインスパイアされるなんて創作のあるあるで、程度の違いはあれど自身もやっていることなのだ。そういった批判がいつ自分に向けられるか、創作のやってる身としては明日は我が身であるとも思っている。

そして、もし、自分が最近話題になっている事件を知り、その上で「極めて特殊な状況下でのみ成立するストーリーを思いつき、それを形にしてみたいと思い、実際に作った」としたら、公開タイミングや場所、あるいはストーリー展開に気をつけようと思う。(人によっては公開しない、を選ぶだろう)

思うが、その時、ちゃんとブレーキかかるだろうか。
あるいはある種の適切な形に落とし込めるだろうか。
正直、自信はない。

だから創作者が徹底批判記事を書いたり、ツイートしてるのを見るとハラハラする。批判点に関して、作家としての私自身は気をつけようレベルまでしか自分に約束ができないな、と思う。創作者が過度にこの作品を批判する時、自分自身に呪いをかけることになりはしないか、と。

あえていうのなら、そういった基準を作者それぞれが作り出す為に優れた批評は参考になる、ということだ。
ただ気をつけなければいけないのは、自分なりの誇りをもった基準を他の創作者が適用していない時、これをむやみにコントロールしようとすれば必ず軋轢を生むという事だ。

そして創作者が、幸色のワンルーム的な手法を批判する時、自分の創作基準を考えざるおえない。その批判、自分の首を絞めないか?と。

成立背景に思う所はある。
が、同時に作者と私は似たような所に住んでる、似た性質の人間だろうとも思う。もし創作者が自身と件の作者との同類性を考えずに批判を展開しているのだとしたら、お前鏡見ろよ、と思ってしまう。

もちろん、創作者でない者が、被害者がいるのに膨らまして妄想したような作品は加害的で許されない、ワンルーム曽根崎心中源氏物語もダメだ!は一つの筋の通し方ではある。(私はそこに与しないが)

そして言うまでもなく誘拐は犯罪である。ブレンダさんの批評にあるように「被害者を妄想の中への閉じ込めてしまう」というような事を発生させうるという事を含めて誘拐は罪なのだと思う。

実在の事件をモチーフとした(あるいは着想を得た)作品を作ってよいか、公開していいか、どうするかは各々決めるしかなく、そういうの事について考えることは創作の質を高めうると思う。
けど、自分なりに考えて作った基準は自分の為の自分専用であり、他者がそれを適用していないのはむしろ当たり前との自覚は必要であろう。